「好き」の程度

私が深い悩みの穴にはまってしまった理由はこのダイアリを見続けている人ならわかるであろうが、自分の専攻である。物質環境論専攻という仰々しい名前がついているが要するに化学である。

まず、化学をやめることが決まり、研究にそれほど関心を抱いていない様子を見て、私は化学を嫌いなのだと思った人がいるかもしれないが、それは違う。私は化学は好きである。
ただ、この「好き」という程度が問題である。

私は化学の本を読むことが好きである。化学の新発見にも関心がある。
しかし、この程度の関心ならば大学の一般教養、あるいはうちの学部でとられている副専攻程度で何ら問題はなかったのだ。

カラオケを好きな人がみな歌手になりたいわけではない。サッカーを好きな人がみなサッカー選手を目指しているわけではない。そう、私が化学を好きであるという思いはプロにはなるつもりはないけど、趣味としてサッカーを楽しみたいという程度であったのだ。
卒業研究をプロ級というのはおかしいが、セミプロの範囲にはあると思う。この域に達するには趣味として楽しむ程度では足りないだろう。

「化学に全てをささげたい」
これぐらいの意気込みがなければ大学での研究ライフには耐えられないように思える。これは化学の研究がほとんどの場合実験を要するので時間的、場所的拘束が大きいというのも関係しているが、どの分野であれこのような意識は必要だと思う。
もっとも、4年間遊んで卒業している人もいるが、これはその大学が多くを学生に求めていないということだろう。

自分にはそこまで化学を好きでなかった。

さらに自分の場合問題であるのはもともと文系であったのにあえて化学を専門に選んでしまったということだ。別に文系の人間がみな科学的なトピックに関心がないわけではない。文系でも「Newton」とかを愛読している人もいるだろう。私もそうだった。
この程度で化学を専攻しようなどという無謀な冒険をした。自分は本当におろかだと思う。

こんな愚かしい選択をしていなければ学問的にも充実した学生生活が送れたはず。
今の自分にできることは院、就職というステップでキャリアアップをはかり、この大学での専門を笑い飛ばせるようになることぐらい。
「なんか化学とかやっちゃったけど、ちょっとはためになったかな。
しっかし、自分って本当に馬鹿だなあ」