あきらめた夢が叶うことはもうない

雑誌会の論文は自分の研究分野と関連のあるやつにしようと思います。面倒なので。

今日は水圏化学ゼミがあり、発表を聞いていたのですが、やはり頭には入らない。

目先の利益を考えて、簡単に夢を投げ出してしまった自分がこれからどうしていこうかということを考えていました。

化学をあきらめたことで、就職に有利とかそういう話はまったくなくなりました。むしろ、周りに流されるようにして院進学を決めてしまったので、逆に不利になったのではないかと思います。
そして、化学関連の仕事につくという意思は消え去り、自分が大学で得たわずかな化学の知識もほとんどがむだとなります。
勉強したこと、研究したことが社会に出るときに何の役にも立たないと思って文学部を受験直前にあきらめ、無理やり理系に入り込んだんですが、結局同じですね。

そもそも、大学で得た知識というものにどれほどの価値があるのでしょうか。もちろん教師や技術者、研究者、シンクタンク職員といったものになるには専門的知識が必要とされるでしょう。でも、多くの人、特に文系の人は大学で得た知識を発揮するような仕事にはつかない。理系でも研究室推薦で入れる研究職ではなく、総合職などを目指す人がいる。

求められるものは学問に関する知識ではなく、自分がそこで展開した知的探求活動においてどのようなものを感じ、それをどのように人間としての成長に生かせたかということ。
そのようなフィードバックは当然、自分がやりたい勉強をやったほうが大きいに決まっている。知識に即効性があるかないかとかで選ぶようなことではない。

やりたいことをやらずにあきらめてしまうことは、一番つらいことなんだ。