科学技術とは
文系から理系に変わるということを私が大学に入ってからやってしまったということはこのダイアリをよく見ている人ならご存知のはず。
私は海外に住んだことがあり、また地図を見て地域文化に思いをめぐらせるのが好きな子どもであった。だから地域文化研究とかにあこがれて文学部を志望していた。
が、受験直前になって次のような考えが頭に浮かんだ。
日本は科学技術立国だ。それを支える科学技術をやらず文化研究をやるなんて男のするようなことじゃない
そして、文学部から総合人間学部へ出願し、合格し今に至る。
後期は大阪大学の文学部に出願していたあたり、文化研究への思いは完全に断ち切れなかったのだろう。*1
なんかすごく馬鹿な理由ですね。
日本が科学技術立国であることは間違いないでしょう。日本の科学技術は産業、学術両面で世界のトップクラスにあると思います。
しかし、日本の人文科学、社会科学は自然科学ほど世界での地位は高くありません。だから、文化研究を行うことも日本のためになったのです。もちろん自分も楽しい。
そして、環境を学んで思うこと。
科学技術が発展すれば本当に幸せになれるのか?
今PCを使ってこの文章を書いている私が言うのもなんですが。
確かに科学技術は便利なものを生み出し、私たちの快適な生活を支えています。
しかし、「夢の化学物質」といわれたフロンがオゾン層を破壊するよう、科学技術は私たちの生活を脅かすものでもあります。また、医療技術の発達で延命治療が可能になりました。だが、死にかけの人間をチューブでつないで命を永らえさせることになんの意味があるのだろうか。人として、生き物として安らかに死ぬことより意味があるのだろうか。
別に科学批判をしようというわけじゃあないけど、けして科学技術は万能ではない。
そして、科学技術は十分発達したではないか。これ以上快適な暮らしを人は望まなければならないのか?
人が人らしく、これからも生き続けられるようなライフスタイル、社会システムを考えるということが必要だ。それには人文・社会科学の叡智がいる。
文系批判とか聞くけど、自然科学、人文科学、社会科学のどれも必要である。そして、新しいことを知りたいという思いはどれにも同じ。本質的な違いはない。そのような気持ちがある人は誰でも科学者である。
と、このような簡単なことを忘れてしまった私は思うのであった。
もうかっこつけなくていい
そっと身をゆだねて
すべてをさらけだせたら
少し楽になれる(小松未歩 NAKED)
まずは自分が幸せになれる道を見つけること。